フジモト 【藤本】レベル7
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日本姓氏語源辞典
兵庫県、大阪府、山口県。続いて広島県、熊本県、東京都、福岡県、神奈川県、京都府、北海道。
①合略。藤原の略。「藤原が本」の意。藤原参照。兵庫県丹波篠山市郡家では藤原姓から1717年(享保2年)に改姓したと伝える。静岡県榛原郡川根本町下長尾の小字の久保尾(伝承では久法)にある阿弥陀堂は京都府京都市から来住した藤原氏の後裔の藤本氏が1441年(嘉吉元年)に施主となったと伝える。広島県福山市三吉町では藤原氏の後裔の藤井氏が江戸時代に称したとの伝あり。藤井参照。山梨県大月市初狩町下初狩では藤原氏の後裔で戦国時代以前に称していたと伝える。宮崎県都城市松元町、徳島県美馬市脇町、長野県下伊那郡泰阜村三耕地、長野県松本市今井、山梨県大月市富浜町鳥沢で藤原氏の後裔との伝あり。徳島県美馬市脇町の伝承では称したのは江戸時代。東京都千代田区千代田が政庁の江戸幕府の幕臣、秋田県秋田市千秋公園が藩庁の久保田藩の能役者に江戸時代にあった。同幕臣、同藩の能役者に藤原氏の後裔との伝あり。奈良県桜井市高家では平安時代・鎌倉時代の公卿で藤原が本姓である九条兼実の後裔と伝える。九条参照。香川県高松市亀水町では平安時代の天皇である崇徳天皇の従者だった藤原氏の後裔が称したとの伝あり。徳島県三好市池田町西山では藤原朝臣モトタケの後裔が称したと伝える。モトタケの漢字表記は不明。推定では平安時代の人物。善隣。熊本県菊池郡菊陽町久保田、山口県周南市須々万本郷、島根県雲南市大東町大東下分向島、岡山県津山市院庄に分布あり。
②合略。藤崎の略。「藤崎が本」の意。山梨県大月市猿橋町藤崎では室町時代に藤崎姓から改姓したと伝える。同地では1582年(天正10年)に居住後に改姓して1818年から1830年(文政年間)以降に藤崎姓を再び称していたとの伝もあり。藤崎参照。
③埼玉県久喜市上清久の小字の藤本から発祥。同地で鎌倉時代に称したと伝える。
④地形。藤のそばから。徳島県美馬郡つるぎ町貞光竹屋敷では明治新姓と伝える。善隣。佐賀県では大阪府東部(旧:河内国)で戦国時代・安土桃山時代の武将の織田信長が鷹狩りの際に立ち寄って美しかった藤棚の藤により賜ったと伝える。佐賀県佐賀市多布施、佐賀県伊万里市大川町大川野片竹に分布あり。
※大分県速見郡日出町藤原は鎌倉時代に記録のある地名。同地では農業に従事していたと伝える。推定では江戸時代。
⑤創賜。鹿児島県の奄美群島の一字姓である藤に「本」を追加。推定では1953年の日本復帰時。鹿児島県大島郡徳之島町母間に分布あり。藤参照。
⑥コリア(朝鮮・韓国)系。推定での比率は1%以下。千葉県銚子市(旧:香取郡豊里村)で1953年3月19日に帰化の記録あり。本姓は呉。帰化の初出。呉参照。大阪府大阪市北区(旧:大淀区)で1954年8月9日に帰化の記録あり。本姓は鄭。鄭参照。他姓もあり。