ゴトウ 【後藤】レベル7
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日本姓氏語源辞典
愛知県、大分県、東京都。続いて岐阜県、北海道、神奈川県、静岡県、山形県、大阪府、宮城県。
①熊本県(旧:肥後国)発祥。飛鳥時代に記録のある地名。「肥後の藤原氏」の意。佐賀県武雄市上西山では大阪府東部(旧:河内国)で肥後守となった藤原氏が称したと伝える。藤原参照。同地での伝承では称したのは1051年(永承6年)から1062年(康平5年)の前九年の役頃。佐賀県武雄市に来住したのは1118年(元永元年)との伝もあり。大分県大分市旦野原では大阪府東部(旧:河内国)の坂戸で平安時代末期に藤原氏が称したと伝える。大阪府羽曳野市尺度が比定地。尺度はシャクドで奈良時代に記録のある地名。地名は「坂門」とも表記してサカトの発音もあった。大分県速見郡日出町豊岡で藤原氏の後裔との伝あり。岩手県奥州市水沢大手町では平安時代末期に熊本県(旧:肥後国)の肥後守で内舎人だった藤原氏が「後藤内」と称していたとの伝あり。後藤内は現存するか不明。神奈川県鎌倉市雪ノ下・小町が政庁の鎌倉幕府の幕臣に鎌倉時代、京都府京都市上京区御所八幡町付近が政庁の室町幕府の幕臣に室町時代にあった。福島県安達郡大玉村玉井、宮城県栗原市栗駒文字、宮城県栗原市花山本沢大田、富山県魚津市経田中町では草分けと伝える。鳥取県米子市上後藤は経由地。江戸時代に記録のある地名。地名は後藤氏の開発によると伝える。善隣。長野県諏訪市湯の脇に分布あり。長野県伊那市手良野口では1532年から1555年(天文年間)に称していたと伝える。
②創賜。岩手県奥州市前沢生母天王では戦国時代・安土桃山時代・江戸時代の武将である伊達政宗と戦国時代に敵対していた佐藤氏が擬装するため佐藤の「佐」を「後」にして改姓したと伝える。佐藤参照。
③香川県綾歌郡綾川町山田上にあった後藤(別名:後藤山)城の付近の後藤山から発祥。同地に戦国時代にあった。
④事物。山梨県甲府市国母では山梨県甲府市後屋町で後屋氏が藤の大木から戦国時代に改姓したと伝える。後屋はウシロヤで江戸時代に記録のある地名。後屋は現存するか不明。
⑤五島の異形。宮城県登米市では長崎県五島市の出で五島姓から改姓したと伝える。推定では江戸時代初期。
⑥コリア(朝鮮・韓国)系。推定での比率は1%以下。大分県豊後大野市(旧:大野郡朝地町)で1955年10月27日に帰化の記録あり。本姓の記載なし。帰化の初出。