ハシグチ 【橋口】レベル6
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日本姓氏語源辞典
鹿児島県、宮崎県、長崎県。続いて大阪府、福岡県、熊本県、東京都、兵庫県、愛知県、佐賀県。
①地形。橋と出入口から。和歌山県・三重県南部(旧:紀伊国)に平安時代にあった。宮崎県日向市美々津町では室町時代に居住したと伝える。宮崎県西都市南方では鹿児島県の出との伝あり。伝承による推定では江戸時代の来住。長崎県東彼杵郡川棚町百津郷に江戸時代にあった。同地では「橋本」とも呼称していたと伝える。橋本参照。長崎県五島市の奈留町では江戸時代より前に藤原姓の分家が称したとの伝あり。藤原参照。江戸時代にあった門割制度の橋口門から。門の位置の例。鹿児島県鹿児島市吉野町、鹿児島県南さつま市金峰町高橋、鹿児島県南九州市川辺町平山、鹿児島県南九州市川辺町田部田、宮崎県えびの市原田、宮崎県えびの市今西、宮崎県都城市梅北町、宮崎県都城市高木町、宮崎県北諸県郡三股町蓼池、宮崎県宮崎市高岡町上倉永、宮崎県宮崎市高岡町下倉永。鹿児島県霧島市霧島田口では橋ノ口門。鹿児島県日置市東市来町湯田、鹿児島県薩摩郡さつま町求名では橋之口門。鹿児島県薩摩川内市里町里では橋口屋敷。門、屋敷による明治新姓。
※鹿児島県日置市の伊集院町にあった橋口の地名から発祥。鹿児島県日置市伊集院町上神殿が比定地。推定では平安時代。
※宮崎県西都市妻では飛鳥時代の政治家である藤原鎌足の後裔で1331年(元徳3年・元弘元年)にあった元弘の乱の恩賞で静岡県西部(旧:遠江国)の橋口荘を賜って称したと伝える。位置不詳。
②鹿児島県南さつま市加世田武田橋口発祥。同地に江戸時代に門割制度の橋口門があった。門による明治新姓。