奈良県吉野郡吉野町。創賜。殿が狩りに来た際にお供をして狩毛姓を賜ったと伝える。推定では江戸時代初期。1716年から1736年(享保年間)の食器に「かるも」の表記で記録があり、付近の田畑を「かるも垣内」と呼称して当初は「苅藻」の表記だったとの伝もあり。伝承地不詳。苅藻は現存するか不明。奈良県吉野郡吉野町柳に分布あり。同地の小字にカルモカイトが存在。
お寄せいただいた情報は更新の参考にいたします。